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雨宮製作所で101〜104の4輌が製造された。就役は1929年だが、導入に設備改良を要しており製造は1927年といわれる。経営母体は計画時は東京電灯、入線時は江ノ島電気鉄道。

江ノ電初のボギー車であり、単車にも付随車併結の2連、続行運転という対応策はあったものの、単行で約70人の定員があるボギー車は輸送力増強に相当役立ったものと思われる。

スタイル的には後続の105・106形とはだいぶ異なり、側面扉・窓配置こそ106形と似通っているものの屋根が深く幕板も広く、車幅も広いためずっしりとした鈍重な印象がある。ベンチレータはT型4個×2列。側面窓は一段下降式。集電装置は当初よりポールであった。行先表示窓は幕板中央に設置された。

幕板部分は上から外板を1枚張り重ねたような構造になっており、そのため他の半鋼製車のようなウィンドウヘッダーはないが、境目には細い線状の突起があった。当車から改造された302・303Fの塗り分けが窓のすぐ上を境界線としたのはこれに合わせたためである(ただし、戦後連接化前の塗り分け塗装ではウィンドウヘッダー相当の幅が取られている)。類似した構造は他社でも見られ、現在では上毛電気鉄道100形に残っている。

前面車番は腰板のヘッドライト上が原形の位置で、新製時はセンチュリー体だったが、戦前のツートンカラー化の頃には現在の300形のような書体になったようだ。ただ他車同様、時期や車輌によってはこの限りではないと思われる。戦後、テール2灯化の頃までには向かって右側のテールライト上に統一されている。

他車並みに戦前は茶一色→茶+クリーム(納涼電車に合わせた水色一色塗りも夏期のみ試みられたらしい)、戦後には青+クリーム→現行標準色といった塗装変更も受け、行先表示窓の閉塞、ヘッドライトの屋根上移設、2灯テールライト設置を経て1955年のホーム嵩上げでは他のボギー車同様ステップを切ったが、程なくして1957年には4輌全車が連接車302F・303Fに改造され、姿を消した。

編成

藤沢 鎌倉
101
102
103
104

各種データ

製造所 雨宮製作所
制御方式 抵抗制御
駆動方式 吊掛式
車体 半鋼製
車体長 ---
定員 ---
製造年 昭和2年
最大在籍数 4輌


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