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1939年、当時の東横電鉄玉川線(のちの東急玉川線)で、同線の前身である玉川電気鉄道から引き継ぎの31〜35を鋼体化(→71〜75、のちの玉電60形)することとなり、不要となった車体のうち2輌を江ノ電が譲受、100形グループの最終番号である116・117とした。台車は京浜電鉄から譲受したもの(Brill27GE)を組み合わせている。

段差が低く採光窓のないダブルルーフ、ドア間に3連×4の一段下降窓を持つ大柄な木造車であり、新製車・移籍組を通じて最大の定員を誇っていた。前面はほぼ平面。ベンチレータはモニタ両脇にT型が4ヶ所ずつ付いた。

当初は一部に改造が加えられたが大きく原形を崩すことなく使われた。塗色は当初茶+クリームのツートンで、車番表記なども他車に準じている。

戦後までにはヘッドライトが屋根上に移り、方向幕が埋められるなどの微細な変化があり、救助網も外されたが、戦後の117には2枚引戸だった側扉を1枚化し、戸袋を拡大していた時期があったようで、116に波及していたか否かは不明だが末期には2枚引戸に戻っている。また前面窓の一部と側窓は、戦中戦後の物資不足からか1段のまま2枚ガラスとなったが、このうち側窓は廃車までそのままであった(戸袋窓は1枚ガラスのままであった)。

他の移籍組が早くに廃車、もしくは譲受車体に載せ替えられていく中、この2輌はその大きさ故であろう、木造車ながら遅くまで生き残り2灯テールライトも装備、最後には木造車で唯一現行標準色化され、1955年のステップ切除も乗り越え117は1957年、116は連接車が大方出揃った1960年まで活躍した。この2輌の廃車により、江ノ電の木造車は電動貨車を除きすべて消滅した。

なお、117の台車は改造のうえ、502Fに流用されている。

編成

藤沢 鎌倉
116
117

各種データ

製造所 田中車輛
制御方式 抵抗制御
駆動方式 吊掛式
車体 木製
車体長 ---
自重 ---
定員 90人
製造年 大正14年
最大在籍数 2輌

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