■1903年の片瀬・行合間開業に際して4輌入線した。
■車体の造作は側窓が9枚になっている(9・10と同様)程度で1〜4と特に変わるところはなく、オープンデッキの2軸車であるが、動力を持たないトレーラーとされた。江ノ電史上、トレーラーとして新製された車輌は他に例がなく、たいへん珍しい。
■いわゆる朝顔形連結器を装備し、電動車に牽引されて使われた。終点では電動車を機回ししていたものであろう。なお手ブレーキは装備していたようである。
■また、7は登場当初「お召電車」として特別な内装を施されていたといわれ、実際に御乗用としての運転実績もあったという。1911年に14が新製されるとそちらに役目を譲り格下げされたらしい。
■1905年には8が4の電装品を流用して電動車化された。同車はその後1〜4同様のポール化・車体改造を経て1931年には納涼電車の種車となった。残り3輌はボギー車が入る頃まで付随車として在籍したが、1940年代までには廃車になったものと思われる。
製造所 |
車体:天野工場
台車:マイネッケ? |
制御方式 |
抵抗制御(8のみ) |
駆動方式 |
吊掛式(8のみ) |
車体 |
木製 |
車体長 |
7.5m? |
自重 |
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定員 |
50人? |
製造初年 |
明治36年 |
最大在籍数 |
4輌 |
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