▲301F(1986年夏 七里ヶ浜〜稲村ヶ崎) ※画像提供:かめさん
もと都電150形154・155(1927年・田中車輛製)の車体を載せていた113・114(2代目)を連接化し、1956年に誕生した江ノ電最初の連接車。改造は連結車201+202と同時期で、その後の近代化の指針を決めるための試験的な改造であった。結果的に連接車が採られ、300形・500形の増備が進められることになる(もっとも、500形も同年中には竣工しており、本車改造時すでに連接車の採用は決定的だったとの見方もある)。

当初は同番号の301+301で、1960年に鎌倉寄り車を351とした。

車体は種車のものを流用し、連接部妻面の切妻・貫通化、付近の窓配置変更が目立つほかは200形に準じた変更を施した程度で、全体に旧車の面影を色濃く残していた(客扉は2枚引戸化された200形に対し、1枚引戸のままであった)。後年にも大規模な車体更新は行われなかったため、前面のバンパー、連接部の切れ上がった車体裾といった特徴は廃車時まで受け継がれた。

ベンチレーターは当初種車のままのトルぺード形2個×2列だったが、のち後述のように変更を経ている。

電動機は後続の連接車では両端台車に2個ずつだが、本車では連接台車に2個、端台車に1個ずつという変則的な配置となっている。

マイナーチェンジは数多く、以下のような内容。

1960年代前半
・ベンチレーターをT形2個×2列に変更(海側と山側で位置がずれていたようで、海側が鎌倉方に、山側が藤沢方に寄っていたらしい)
・その後程なくして301の山側、351の海側にランボード設置(付随して干渉するベンチレーターを1個ずつ撤去し、301が海側2/山側1、351が海側1/山側2という変則的な配置に)
・台車枕バネ改造(コイルバネ化…305で採用した「エリゴバネ」だったともいわれる)
・段付きウィンドシルの平板化
・窓下塗り分け線変更(ウィンドシルより一段低い200形同様のもの→シル下辺合わせ)
・1964年、Zパンタ化(301のみ搭載・351は台座のみ存置)
1960年代後半
・側面縦樋設置
・流線型の埋込式だった前照灯の別体化
・行先方向板の横引き化
1970年代初頭
・乗務員扉設置(付随して客扉の後退・側窓1個減少。改造部の扉は以前と違うパターンの木製に交換されたが、なぜか351の山側だけは2枚とも交換されているのが確認できる)
・重連運転に伴う密自連化(上吊り式)、ジャンパー栓整備
・1971〜73年頃、パンタグラフ化(351→301の順)
・ランボードが両側となる(ベンチレーターは干渉しなかったため変化なし)
1979年ごろ
・事故復旧に伴い、前照灯シールドビーム2灯化(当車に限っては長方形の台座の上に付けられ、向かって左側のみライト上に手掛け設置)
・窓枠のアルミサッシ化、ドア交換(Hゴム窓)、戸袋窓Hゴム支持化
・車外スピーカー設置、車号の白塗り化(切り抜き文字のまま)
1980年代末ごろ
・更新によりウィンドウヘッダー消滅(塗り分けは変わらず)
・保護棒移設(窓の下寄り→上寄り)
・前面車号を中央へ移設、側面車号・社紋も移設。いずれも銀色の切り抜き文字
・1989年、列車無線アンテナ設置

新型車増備後は廃車対象となり、最末期には広告車として戦前の納涼電車をイメージした塗装に変更されたのち、1992年に2000形に置き換えられ廃車・解体された。密連化は行なわれず、最後まで密自連のままであった。

車輌としては現存していないが、本車の連接台車と思われる台車が極楽寺検車区の仮台車として現存し、検査時などに使用されている(端台車は304F更新前のものを使用)。

編成

藤沢 鎌倉
301F 301 351←301
1960改番

各種データ(特記なき限り編成全体の値)

製造所 東洋工機・東洋電機(改造)
制御方式 抵抗制御
駆動方式 吊掛式
主電動機 42.3kw×4
歯車比 4.75
ブレーキ方式 電磁SME
車体構造 半鋼製
最大寸法
(長×幅×高)
24,814×2,400×3,883mm
自重 39.0t
※19.7t(301)/19.3t(351)
定員(座席) 150人(68人)
改造年 昭和31年
最大在籍数 1編成(300形自体は最大6編成在籍)

備考的写真 クリックで拡大

1985 1986 ---- 1992 2012.10.21

 ▲もどる