▲晩年の311F(深沢車庫) ※転載元:JS3VXWの鉄道管理局
湘南モノレール最初の電車であり、1970年3月の大船〜西鎌倉間開業に備えて301F〜307Fの2連4本が、翌1971年7月の全通にあわせて309F・311Fの2連2本が導入された。

国内のサフェージュ式モノレールには名古屋・東山公園内の試験線(運行期間1964年〜1974年、1978年廃止。全長500m程度ながら地方鉄道法準拠の正式な鉄道)が既に存在したが、地方交通の一翼を担うものとしては当線が初であった(もっとも、建設当時はこちらもテスト路線の性格が強かった。路線用地に充てられた京浜急行電鉄の自動車専用道路が激しいアップダウンやカーブを持っていたことも、こうした路線条件に適したサフェージュ式を試用するのに好都合であった)。

日本へのサフェージュ式モノレールの導入は日本エアウェイ開発社が仏国サフェージュ社(サフェージュ=Société Anonyme Francais d' Etudes, de Gestion et d' Entreprises:フランス企業経営研究株式会社の頭文字。本方式開発にあたりミシュラン、ルノーなど25社が共同で設立した)の特許権を取得して行ったが、同社設立の中心となったのは三菱グループ各社であり、「三菱サフェージュ式」などと呼ばれるように日本のサフェージュ式は三菱がその技術を保有している。車輌の製造も湘南モノレール、のちの千葉都市モノレールともに一貫して三菱重工が担当しており、当車も三菱製である。

前述の東山公園実験線ではサフェージュ社が製造した試験車(仏国の試験線で使用)と同型の、外吊り扉の流線型車輌を使用していた(現在も東山公園に静態保存されている)。湘南モノレールも開通前のイメージ図などには類似デザインのものが見られるが、結局300形ではグッと実用的なスタイルにまとめられた。

車体は後の550形などとは異なり腰板で折れる一般的な裾絞り車体に近いもので、屋上機器カバーも曲線的で後継車とは趣を異にする。窓は400形のような連続窓ではなく独立窓だが、550形とは寸法・形態ともに異なる。銀+赤帯の塗装は後続車同様だが、弧を描く前面の塗り分けなどは若干趣を異にしている。

前面のディテールは後継車とは全く異なり、窓は貫通扉を含めHゴム支持で天地寸法も小さく、前尾灯は縦並びの円形。方向板受けが貫通扉外側(窓下)に装備されるのも当形式が唯一で、全体に牧歌的な、当時の一般鉄道の電車に近い印象がある。前面運転台側窓下には線状の列車無線アンテナが装備されており、このアンテナは以後の車輌でも踏襲されている。

側面見付はdD6D1というこれも独自のもの。ドア窓は当初大型の1枚で、1980年代までに2枚のものに交換されたと思われるが、いずれも支持用のHゴムが外側に露出している点、また窓寸法も後継車とは異なる。

当初はすべて2連だったが、1975年に301Fと303Fの中間に新製の320形中間車を挟み3連とした。車体長は先頭車300形より短く側面見付は1D5D1。造作は基本的に同様だが、幕板と機器カバーの継ぎ目の処理に差が見られる。
320形はこの2輌のみに終わり、続く400形も2連で登場した。

長らく主力として活躍したが、1980年代後半には置き換えの時期を迎え、500(→550)形冷房車が登場すると順次代替を開始。305F・309F・307F・301F・303Fが順に1988年から1989年にかけ廃車、311Fだけは限定運用で遅くまで生き残ったが、1992年7月をもって廃車となり、300形は形式消滅した。廃車後は301が川崎市の企業に引き取られたが、現存しない。

編成

大船 湘南江の島
301F 301 321 302
1975追加
303F 303 322 304
1975追加
305F 305 306
307F 307 308
309F 309 310
311F 311 312

各種データ(先頭車1輌の値)

製造所 三菱重工
主電動機 55kW×4
歯車比 9.25
最大寸法
(長×幅×高)
12,890×2,650×4,742mm(先頭車)
自重 17t
定員(座席) 104人(48人)
製造初年 昭和45年
在籍数 6編成

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