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■1910年の小町(→鎌倉)までの全通に際し、4輌が導入された。 ■2軸単車で、大きさも先行した9・10に準ずるが、江ノ電最初のモデルチェンジ車と言ってよく、特筆すべきは初めて窓ガラスの入ったベスチビュールが付けられた点である。中央の広い3枚窓で、全て1段。幕板中央と向かって右に行先等表示用の小窓が設けられた。前照灯も初期から埋込式のものが付いていたようである。 ■屋根も従来の古典的な段落ち形ダブルルーフから流線型ダブルルーフとなり、かなりスマートになった。乗客からは在来車の「トロッコ」に対し「ハイカラ電車」の渾名で呼ばれたという。 ■メーカーは不詳だが、集電装置は当初からトロリーポールで、その後の車輌群もそれに準ずることとなる。台車は従来車同様のマイネッケ社製であったとみられる。 ■塗装は1色塗りしか確認できておらず2色塗りが存在したか否かはっきりしないが、従来車と大きく変わるところはなかったように見られる。 ■14は当初、7より引き継いだ"お召電車"として特別装備を持っており、座席も他車の板張りに対しクッション入りのモケット張りであったらしい。但し運転実績は多くなく、のち格下げされた。 ■大きな車体改造は実施されず、大正末ごろには全車がモーターを降ろし付随車となった。大正年間には1・2・3・8がモーター増設改造を受けたという記録もあるが、相関関係は不明である。 ■車体腰板は当初、従来車と同じく2弾の裾絞り付きであったが、当車に関しては裾絞りの廃止が行なわれたか否かいまいち判然しない。キャンプカー時代の写真でも裾形状がはっきりしないが、廃車時までそのままであったのかもしれない。 ■13・14は戦前期に廃車となって七里ヶ浜海岸のキャンプカー(バンガロー)として再用されたが、11・12は1931年にトレーラーのまま納涼電車11・12として再起し、1934年には9・10の電装品を流用して再電装された。その後11はさらに仙台市へと譲渡されることになる(2軸納涼車の項を参照)。
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