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■1956年、ボギー車112・202を連結車化改造し1編成が登場した。112は同年廃車の201(ボギー車)の車番を踏襲して201に改番、201+202となった。同時期に改造された301と同じく、その後の近代化の指針を定めるため試験的に改造されたものであるが、結果的に連結車は採用されず、異端の存在となった。 ■当車の車歴は車体載せ替えや車番踏襲などなかなか複雑なもので、その大まかな流れは300形306Fの項を参照願いたい。 ■両車とも改造時はもと王子電軌200形(都電150・170形)の車体に載せ替えていたため違和感のない編成となったが、製造メーカーの差により屋根の深さが異なっており、202の方が幕板が狭かった。この特徴は、のち306Fへ再改造され1991年に廃車となるまで受け継がれることになる。 ■連結化に際しては、ポールを1輌あたり2本から1本とし、2輌を総括制御するため間接制御式に改造、自動扉化、自連も取付。連結面はバンパーを残したまま貫通式となり、貫通幌も装備されたが、急カーブの多い当線では車体の偏寄が大きく、通り抜けには危険であったため後に閉鎖され、連結車が本格採用されなかった一因ともなった。 ■ステップ切除も連結化と同時に施工されたようだが、これに伴いドア上辺が高くなり、当該部分のウィンドウヘッダーがこれを避ける形に修正されている。ドアは種車を踏襲した1枚引戸で、戸袋は車端側。 ■ベンチレータは112がトルぺード形、202がT形で異なっており、しばらくはそのまま残っていたが、1960年代初頭ごろには双方とも撤去された。 ■改造時、202の台車は115のものと交換されたが、これは当時115が元111の台車を履いていたと思われることから、111と出自を同じくする112と仕様を揃えるために流用したのではないかと考えられる。 ■塗色は当初より現行標準色で、ボギー車時代には106形などと同じ塗り分けだったが、連結車となってからはウィンドウシルの一段下までクリーム色が回った塗り分けとなってイメージを変えた。同様の塗り分けは301Fにも使われた時期がある(1960年代初頭ごろ?)。 ■200形時代には大きな更新はなく、前述のベンチレータ撤去のほか、1958年の106・109連接化(→304F)改造時に当車の台車を流用(代わって106・109のNDE-1形台車を当車に装備)、1964年にポールをZパンタ化(201にのみ搭載・202は台座のみ存置)、1960年代中盤に流線型だった前照灯が他車同様の別体となり、方向板が横引き式とされた程度であった。 ■1968年、300形の最終増備車として306Fへと再改造され、姿を消した。
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