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■夏季限定の窓ガラスのない「納涼電車」は1931年から運行され好評を得たが、当初は古い単車の改造車ばかりであった。これに対し、1936年にボギー車の納涼車が作られた。 ■特筆すべき点は台車を製造せず、車体と電装品、制御器のみを新製していることで、夏季になると111・112(もと西武新宿軌道)の台車を借用して走行、秋季には再び本来の111・112の車体へ交替するという使われ方をしていた。そのため車番標記は同じ111・112であった。 ■車体は単車の納涼電車に準じた窓ガラスのない「トロッコ車輌」的な構造で、窓から上はほぼ骨組みのみといってよく、腰板も網目状に打ち抜いて通風に供していた。屋根は垂木剥き出しの上にテント張り(単車同様の紅白ストライプ)。前面は中央部にのみガラス付の窓があったようで、その上部に行先表示窓が設置された。ヘッドライトは腰1灯。塗色は単車と同じく水色一色で、車号は前面ライト上と側板中央に書かれた。それぞれ「金波号」「銀波号」の愛称が付けられ、側面に愛称板を掲示した時期もある。 ■高床車の台車を使用する制約上、当車も高床とせざるを得ず、客室床がデッキより一段高かった。出入口にはむろん扉はなかったが、代わりに腰板と同じくらいの高さの柵が付けられていた。 ■ほどなくして(1938年ごろ?)台車共用相手を113・114(もと池上電気鉄道→目黒蒲田電鉄)に変更し、それに際して当車の車体番号も113・114に書き替えられた。113・114も鉄道線出身であったから、規格としては問題なかったのであろう。 ■またその頃までにテント張りだった屋根が鋼板張りに改造されているほか、原形の112では床下にストライカーが確認できるのに対し、屋根改造後の113では他車同様の救助網とされており、何らかの不都合で取り替えたのかもしれない(105に付けられていた特徴的なストライカーも割合早く外されたようだ)。 ■戦時中に座席をすべて撤去し、戦後にも運用されることはあったが、1949年に他社譲受の台車と組み合わされて2輌とも独り立ち。車体も改修されて通年使用できるようになり、200形(201、202)に改番された。
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