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![]() ▲「チョコ電」塗装の801+802。前面窓はアルミサッシ(1985年 腰越〜江ノ島)※画像提供:たもと千代さん |
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■元々は山梨交通軌道線のモハ7・8で、上田交通モハ2341・2342を経て1971年に江ノ電入りした。 ■連接車の重連(4連)運転開始に伴い600形とともに入線した増備車だが、600形同様に連結車とされ、全長13mと大型のため重連運転には使用できなかった(連結自体は可能であり、回送列車として連接車を牽引した実績がある)。原形は両運転台で、連結車化にあたって片側を撤去しているが、乗務員扉は固定した状態で残された。乗務員室仕切は路面電車的な仕切板の両側に扉を付けた格好で、扉が2ヶ所ずつ付いていた。 ■当初は乗降効率の悪い両端寄りの2扉が嫌われ、大きな身体を持て余していたが、のち3扉化改造され、編成定員200人を超す大型車として600形とともに重宝された。 ■なお、種車のパンタは2輌とも同じ側(入線後は鎌倉寄りとなった側)にあったが、600形とは異なり、藤沢側の801は当初パンタなしで竣工した。ベンチレーターは入線時には2輌ともT形4個×2列。間にランボードが通る。 ■山岳線区生まれの足腰は江ノ電では強力すぎたために、初期は電動機を4台/1輌から2台外して2台/1輌として使われていた。また、ヒーター装備車も江ノ電では最初であった。 ■登場後の変化は以下のようなもの。 ●1970年代 ・1974年、藤沢駅高架化のため取り外していた電動機を再用、801に2台、802に4台となる ・(同時期?)801の藤沢寄りにパンタグラフが搭載される(当該部分のベンチレータが撤去され、2個×2列となる。ランボードも短縮) ・1975年、3扉化(増設扉は小田急1700形由来といわれ1100mm幅、Hゴム窓。両端扉は特に改造されず、900mm幅の木製扉のまま) ●1980年代 ・1980年ごろ、前照灯シールドビーム2灯化 ・(同時期?)両端の客扉をHゴム支持窓のものに交換(寸法はそのまま) ・1985年ごろ? 前面窓アルミサッシ化 ■1982年には映画「未完の対局」撮影用に昭和20年代の塗装を模した青+クリームの「青電」塗装、1984年には戦前〜戦後の旧塗装をイメージした茶+クリームの「チョコ電」塗装(かつてのボギー車とは異なり、ドアも塗り分けられていた)となり、当時の緑系統ばかりの車輌群に彩りを添えた。のち「青電」は305F、「チョコ電」は304Fで再登場したが、色調や塗り分けには違いがある。 ■重連運転ができなかったこと、戦後混乱期の車輌ゆえの経年劣化の早さが仇となり、1986年、1501F入線と入れ替わりに廃車となった。 ■現在、801が山梨県南巨摩郡富士川町(旧増穂町地区)の利根川公園に保存展示され、802は静岡県内の個人によって非公開で保存されている。このうち801は保存時に茶一色塗装へ塗り直されていたが、2006年に再塗装が行なわれた折、山交時代末期のオレンジに化粧直しされた。
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