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▲晩年の306F(1986.7 鎌倉高校前〜七里ヶ浜) ※画像提供:かめさん
1968年12月に登場した300形のラストナンバーで、寄せ集め所帯の300形の中でも特に入り組んだ経歴を持つ編成である。

種車となったのは201+202で、都電150・170形(旧・王子電軌200形)の車体を流用した連結車だが、2輌それぞれ経歴が異なる。201は112(2代目)を改番したもので、元々は西武新宿軌道から譲受した木造高床車(1924年、汽車会社製)。対し202は1936年、日本鉄道自動車で製造された納涼電車用の車体をルーツとする。大まかに図示すると、以下のような来歴である。

詳しくは200形(連結車)およびその関連各頁もご参照願いたい。200形連結車は1956年の改造以来10年以上使われたが、急カーブの連続する江ノ電では連結部の偏寄が著しく、連接車の有利は明らかであった。本車に関してはのちの600形や800形と違って車体のサイズも他の連接車と同程度であり、301・302・303Fと同じ東洋工機・東洋電機の手によって連接化改造が行なわれた。

2輌の車体はもともと同形式ではあるが、メーカーの違いのため屋根高さが異なっており、連接部に段差が生じていたのが本車の大きな特徴である。また都電から譲受した際の改造で、側窓に加え前面両端窓も2段になっていたことも他車と異なる点であった。

改造に際してはさすがに最後発だけあって、前照灯のシールドビーム2灯化が先陣をきって行なわれたほか、ノーシルノーヘッダー化・屋根張替も実施。客扉は200形時代の木製からプレスドアの一枚戸となり、拡幅とともに開き方向を変更。また当初は前面幕板に行先方向幕(手動巻き上げ)を装備した。ただし前面のバンパーは強度維持目的でそのままとされ、少々野暮ったさを残した。

集電装置は当初からZパンタで、他車同様に藤沢側のみの搭載であったが、当車に関しては屋根を張り替えたため鎌倉側には台座も残されず、ベンチレーターは元々なかったので356の屋根にはまったく「ツルツル」の状態であった。塗り分けは幕板側はドア上辺揃えで、前面腰板部はいわゆる金太郎塗りとされた。前灯が高い位置にあるためか、前面車号が腰板中央に配されたのも現行標準色では当車が初である。

登場後の主な変化は以下の通り。登場が遅く廃車が早かったため、さほど大きな改造は加えられていない。

1970年代前半
・塗り分け線変更(金太郎塗り廃止)
・方向幕撤去(中央窓天地寸法拡大)、横引き方向板化
・乗務員扉設置
・重連対応のため密自連化(上吊り式)・ジャンパー栓整備
・パンタグラフ化(356→306の順)
1980年代初頭?
・窓枠のアルミサッシ化
1982年ごろ
・戸袋窓Hゴム化
1980年代後半ごろ
・客扉を平板化
1989年
・列車無線アンテナ設置

旧形連接車では最後発ながら実質的車齢は高く、300形では最も早い1991年4月、2002Fの導入に伴い引退し、極楽寺検車区内で解体された。なお、356の車体のルーツとなった都電170形には保存車が1輌存在する。

編成

藤沢 鎌倉
306F 306 356

各種データ(特記なき限り編成全体の値)

製造所 東洋工機・東洋電機(改造)
制御方式 抵抗制御
駆動方式 吊掛式
主電動機 37.3kw×4
歯車比 3.42
ブレーキ方式 電磁SME
車体構造 半鋼製
最大寸法
(長×幅×高)
24,976×2,400×3,840mm
自重 38.0t
※19.2t(306)/18.8t(356)
定員(座席) 152人(64人)
改造年 昭和43年
最大在籍数 1編成(300形自体は最大6編成在籍)

備考的写真 クリックで拡大
   
1982 1983 1985.06 1985 ----

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