▲晩年の302F(1994年 極楽寺) ※写真提供:dsk300さん
1957年、ボギー車101〜104(1929[27?]年・雨宮製作所製)のうち2輌(101・102?)を種車に303Fとともに連接化された。当初は302+302で、1960年に鎌倉寄り車を352とした。

改造に際しては、301Fとは異なり車体裾は一直線とされ、前面のバンパーも廃された。2枚引き戸であった側扉は前後ともに1枚引き戸となり、戸袋も新設されている(側窓は一段下降窓だが、戸袋窓は2枚ガラス)。

前面は中央窓が拡幅され、これはその後の江ノ電の標準的スタイルとなった。また改造当時は流用部分の外板張り替えを行わなかったらしく、幕板やドア間の腰板など一部にリベットが残っていた。

台車は種車の板台枠台車を流用したが、枕バネ部はコイルバネ化されている。

ベンチレーターは当初T形3個×2列。なお、種車となった101形はいわゆるウィンドウヘッダーがなく、幕板全体が一枚板で張り重ねられたような形態をしている(現在では上毛100形で類例が見られる)。この部分の塗り分けは、101形時代にはウィンドウヘッダー相当の幅が取られていたが、改造後は窓上にあった細い線状の突起に合わせられた。このため窓上にはほとんどクリーム色が回っていなかった。

同時に竣工した303Fとは基本的に同型だが、当初は尾灯の取り付け位置が303Fよりやや低かった。

登場後は以下のようなマイナーチェンジを経た。

1964年
・ポールのZパンタ化(302のみ搭載・352は台座のみ存置)
1960年代末ごろ
・ノーリベット化、おそらく同時に尾灯の取り付け位置上昇(303Fと揃えられる)
・側面縦樋取付
1970年代初頭
・重連運転のため密自連化(上吊り式)・ジャンパー栓整備
・乗務員扉設置(客扉・窓配置に変化はなし)
1971年ごろ
・パンタグラフ化(352→302の順。干渉するベンチレータを2個ずつ撤去)
1970年代後半
・窓枠アルミサッシ化・戸袋窓Hゴム支持化
・車外スピーカー設置
1980年代初頭
・客扉交換(Hゴム支持窓)
・前照灯シールドビーム2灯化。303Fとは異なり、ライト上の手掛けは未設置
・グロベン化
1988年ごろ
・客扉窓を金属支持化
・塗り分け線変更(ドア上辺揃え。線状の突起はこの時消滅したとみられる)
・車号表記の切り抜き文字化(銀色磨き出し)
1989年
・列車無線アンテナ設置
1994年
・2月、302の密連+電連化 ※352は密自連のまま。そのため連結向きが鎌倉方に限定される)

僚車303Fは1990年前後に大規模な更新で面目を一新したが、302Fは当時廃車候補に挙がっていたために車体更新・冷房化・新性能化のいずれも見送られ、301・306F廃車後は300形最後の旧性能車となった。非張り上げ屋根・1段下降窓の古風な外観で多くのファンを持つ存在だったが、非冷房・旧性能では寄る年波には打ち克ちがたく、開業95周年を迎えた1997年、10Fの新製と引き換えに廃車となった。

なお当車の廃車によって、在籍全編成のドア位置統一が実現し、台車もすべて東急車輛製となった。

廃車後は山梨県内のキャンプ場でバンガローとして利用されており、宿泊すれば車内の見学も可能。連接車では唯一のほぼ完全な保存車であるが、廃車時に取り外されたのか、302の連結器および352のパンタは取り付けられていない。

編成

藤沢 鎌倉
302F 302 352←302
1960改番

各種データ(特記なき限り編成全体の値)

製造所 東洋工機・東洋電機(改造)
制御方式 抵抗制御
駆動方式 吊掛式
主電動機 37.3kw×4
歯車比 3.88
ブレーキ方式 電磁SME?
車体構造 半鋼製
最大寸法
(長×幅×高)
24,450×2,426×3,850mm
自重 37.7t
定員(座席) 150人(72人)
改造年 昭和32年
最大在籍数 1編成(300形自体は最大6編成在籍)

備考的写真 クリックで拡大

1983.03.12 1986 1994 1994 1997.03.30 ----
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